ゾンビを生き返らせる方法 2
「タバコ吸いたい安元」
店を出ると果歩が言い出した。
「あ、そういえば吸ってなかったな、さっき」
「うん」
「前野がいたからか」
「違うって」
果歩は元々喫煙者だが、会社内にはやはり女性の喫煙をよく思わない年配者も多い。
いまの直属の上司がまさにそうだった。
その為か、会社で吸っている姿を見たことはない。
ごくごく親しい同期との飲み会で見るか見ないか。
前に化粧を落とすこととタバコに火を点けることが、オンとオフのスイッチになっていると言っていた気がする。
前野との飲みはオフじゃないってことか。
「ほれ」
街中を走る川沿いの遊歩道で足を止める。
安元が差し出したタバコから果歩が一本引き抜く。
ライターで火を点けると果歩はおいしそうに煙を吐き出した。
「相変わらず外じゃ吸わないのか」
「う~ん、まあねえ。慣れちゃったし。実家にいた時は家で吸えなかったからね」
「大変だな女性は」
「大変だよ女性は。でも、大変だろ男性も」
「大変だぜ男性も」
二人、川面を見ながらタバコをふかす。
冬の風は冷たいが酔っ払った頬には気持ちがいい。
心もホロホロとほぐれていくようだ。
果歩は夜空を見上げた。
漆黒の空に雲がゆっくりと流れていく。
夜にも雲ってあるんだな。
いや、そりゃあるだろうけど、あんまり意識して見たことなかったな。
まあキャンプとか自然の中に行けば眺めたりするのかもしれないけど。
お月様があんなに輝いている。
雲の色はセピア色だ。
そういえば、いつから夜ってあるんだろう。
子供の頃、家の方針であたしは早く寝かされていたから、夜がなかった気がする。
夕方までしかなかった。
あたしの人生に夜が存在するようになったのって……。
それでその夜が怖くなったのって……。
それでその夜が怖くなったのって……。
そしてその夜が怖くなくなったのって……。
大人になって夜も外に出るようになってから?
夜の雲……でも、なんか怖いな。
きっとこの世には、そこに存在しているのに見ようとしなければ見えないものがいっぱいあるんだろうな。
たとえば、手の中で必死に温めていた孵らない卵だとか。
こいつ……またなんかポワンと考えてんな。
果歩を見て安元は思う。
昔っから、人といてもある瞬間ポワンと自分の世界に入っちゃうみたいなところがある。
そういう時は声をかけても上の空で。
そういう時は声をかけても上の空で。
でもそんな姿は無防備でちょっとカワイイ。
いや違う……面白い。
いや違う……面白い。
それにしても……。
「セピアなのな」
安元がポツリと言う。
「え?」
「いや、雲。夜の雲の色。なんか音もなく夜空を覆っててちょっと怖いよな」
ああ……。
果歩は思った。
ああ……。
「うん。怖い」
風が強くなり少し冷えてきた。
果歩はカラダをプルッと震わせた。
安元がすっと移動して風上に立ち、風よけになった。
果歩はそれに気づいた。
いや、いつも気づいていた。
気づかないフリをしていた。
安元は……優しい。
二人、ぼうっとタバコをふかした。
どれくらい経ったのだろう。
「お前、今日うち泊まれ」
ふいに、安元の口をついて出た。
「うん」
果歩が答えた。
安元も果歩も口から飛び出した自分の言葉にビックリした。
お酒が入っているから、理性がほどけたのであろうか。
でも、口に出した手前、実行するしかない。
「おし、タクシー拾うぞ」
二人、歩き出す。
安元は思った。
……言っちまった。
果歩は思った。
……返事しちゃった。
タクシーを拾える表通りまでは少しだけ距離があった。
安元に不安がよぎる。
あれ?もしや本当に、ただ単に泊まるだけだと思ってやしないだろうか。
いや、それはないだろう。まだ電車走ってるし。
こいつだってもういい歳だ、そのくらいはわかってるだろう。
いや、わかってないのか。昔から天然なところがあるからな。
あれ?これ手を出したら、何するのとかって言われるパターンか。
後々このことでイジられるネタを提供した感じとか?
しかし安元の脳裏をめぐった考えは杞憂におわった。
果歩が安元の手をキュッとつかんだからだ。
驚いてふり返ると、恥ずかしいのだろう。
果歩はあらぬ方に顔を向けていた。
その耳がすこし赤いような気がする。
安元の心臓の鼓動が早くなり、カラダが熱くなった。
あれれ、俺、高校生か?いやオッサンだぞ。なんだこりゃ。
次の瞬間、安元は果歩の手を強く握りしめて、大またで歩き出していた。
カラダのひとまわり小さい果歩がチョコチョコとその後をついてくる。
安元に手を引かれながら果歩は戸惑っていた。
なんで手なんか握っちゃったんだろう。
純情可憐な女子高生か。はじめてのデートか。
それにしてもなんで安元は早足なのだろうか。
リーチが違うから、つんのめりそうなんだけど。
「安元。歩くの早い」
「ワリぃ」
言いながらも安元はスピードをゆるめない。
いや、ゆるめられない。
早く早く。
早く二人きりになりたい。
表通りでタクシーをとめ、二人乗りこむと安元が行き先を告げる。
安元のマンションだ。
お互い顔はそむけて窓の外を向いているが、手はつないだままだ。
手のひらにじっとりと汗がにじむ。
マンションまでは約二十分。
安元の頭の中で危機管理という名の理性が頭をもたげる。
果歩は今では数少ない異性の気のおけない友人だ。
そのうえ数々の現場で一緒に戦ってきた仕事の同士だ。
その同士と一線を越えようとしている。
女はいくらでもいるが同士にはそうは出会えない。
もしうまくいかなくなったら俺は大事な女友達と同士をいっぺんに失う事にもなりかねない。
いいのか安元。まだ引き返せるぞ安元。
あちらの水は甘いのか、苦いのか、どっちだ。
時が安元に決断を突きつける。
……つうか、そんなに複雑なことなのか。
大人の男と女。
ヤってみなけりゃわからない。
そうだ。そうだよ俺。
果歩も逡巡していた。
ん~恥ずかしい。小っ恥ずかしい。
手をつないだままって何これ。
ドラマ?ドラマ?
つうか本当にあたし安元んち行っちゃうの?
で……。
ホントにホント?
でも、そうわかったの。
あたし、安元の前ではいつもゾンビだったんだ。
二倍にも三倍にも長く感じた二十分をすごして安元のマンション前にタクシーが止まった。
エレベーターにのりこむ。
手はもう離していた。
二人並んで壁に背をつける。
上がるエレベーター。
一階……二階……三階……時間が伸びたように、なかなか着かない。
気持ちが高まる。
ドキドキがエレベーター内に充満する。
ふう~と二人の息が同時にもれた。
目と目があった。
気持ちがハジケた。
抱きあって唇を合わせた。
が、安元の目にチラリ、エレベーター内に取付けられた防犯カメラが目に入った。
「あ」
安元が唇を離した。
「ん?」
「防犯カメラ」
「そんなの気にすんな」
果歩が安元のシャツの襟をつかみ唇を奪った。
こいつ、俺より男らしいぞ。
果歩の熱いキスに応えながら安元は胸が踊った。
カギをあけるのももどかしく、もつれるように部屋に上がりこむ。
足元で安元の愛犬・姫が吠えている。
ただならぬ主人の様子に危険だとでも思っているのか。
「姫。ちょっとごめんよ」
安元は子犬を抱えて、部屋の奥へ。
物置がわりにしている部屋に入れる。
キャンキャンとドアの内側から姫の吠え続ける声がする。
ふり返れば、果歩はマフラーをはずし、コートを脱いだところだった。
ここに来てまた安元の理性が待ったをかける。
何枚あるんだオレの危機防御壁は。
「果歩、俺達……」
「うるさい安元。しのごの言わずに私を抱きやがれ」
グシャリ、壁に卵を投げつけられたような衝撃だった。
言い放った果歩の顔はとてもキレイだった。
なんてこと言いやがるんだこの女。なんて殺し文句を言うんだ。
安元に火がついた。
大股で果歩に近づくと、カラダをひきよせ、強く抱きしめ、唇を奪う。
舌と舌を絡め合う。
ゴキュゴキュとノドが鳴る。
カラダが熱くなり、心臓が早鐘を打つ。
ああ、そうだ、忘れてつつあったこの感覚。
女のカラダのやわらかい感触。熱。興奮。
矢も盾もたまらず、安元は果歩を抱え上げ、ベッドルームへ。
進行方向を横目で確認しながら。
その間もキスは続いている。
興奮を途切れさせないように、すばやく。
こんな時にも段取りを考えてしまう。
バカになれ!俺!
ベッドの上に果歩のカラダをそっと下ろして、上に乗る。
見下ろす果歩の顔は息が上がり、すでにトロトロに溶けそうな顔をしていた。
こんな顔するんだな。女の顔。
「あんま見んな。恥ずかしい」
果歩は腕で顔を隠した。
こいつ、昔から恥ずかしいと男言葉になるんだよな。
安元は果歩の腕をつかんで顔の横に固定し、目を合わせる。
「つうか、俺も今、モーレツに恥ずかしい」
二人真っ赤な顔をして見つめ合っている。
いい大人なのに、恥ずかしい。
いい大人だから逆に恥ずかしいのかもしれない。
「安元」
小さな消えいりそうな声で果歩が安元の名を呼んだ。
「早く生き返らせろ」
安元は胸をつかれた。
果歩の唇に優しく優しくまるで初めてする高校生みたいに口づけた。
果歩が小さく笑った。
ああ、いいな。
大人になるってのも悪いことばかりじゃないかもしれない。
大人になるってのも悪いことばかりじゃないかもしれない。
キスを深くしていきながら、安元はそう思っていた。
その夜、安元のキスで果歩は何度も何度も生き返った。
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