空々と漠々 くうくうとばくばく

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ナツノヒカリ 54

 

「本当に一人で大丈夫?駅まで送ろうか」
 
帰るという結衣ちゃんに玄関先で声をかける。
 
「ううん。大丈夫。真島くんこそ、あっちこっち痛くなるかもしれないから、そしたら、ちゃんと湿布とか貼ってね」
「うん」
「真島くん」
「ん?」
「灰谷くんと仲直りしてね」
 
結衣ちゃんはいい子だ。
 
「うん」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
 
結衣ちゃんの唇に軽くキスをする。
こういうことにも慣れた。
 
 
ガランとした居間。
 
灰谷と明日美ちゃんはもういない。
当たり前か。
あんなの見せちゃったんだし。
 
居間の床はきちんと拭いてあり、洗ったタオルがイスの背に干してあった。
 
明日美ちゃんか、灰谷か。
 
 
ソファの背にカーディガンが、かかっていた。
灰谷が着ていたやつだ。
忘れていったのか。
 
カーディガンに袖を通す。
大きい。
何年か前までは同じサイズだったのに。
 
灰谷……。
カラダを抱きしめる。
 
灰谷のニオイだ。
灰谷のニオイがする。
 
灰谷。
灰谷。
灰谷
 
まるで抱きしめられているみたいだ。
 
 
オレを見ていた灰谷の顔、目を思い出す。
 
急にカラダのあちこちが痛んで熱を持ちはじめた。
 
灰谷の手が、足が、オレのカラダにつけた痛みだった。
 
 
痛いよ。痛いよ。痛いよ。
 
灰谷、好きだ。好きだ。好きだ。
 
辛いよ。
苦しいよ。苦しいよ。苦しいよ。
 
オレは灰谷にくるまってゴロゴロと転げ回った。
 
 
 
家に一人でいられなかった。
フラフラと外に出て、あてもなく歩いた。
 
 
何やってんだろオレ。
結衣ちゃんに何させてんだ。
灰谷に何見せてんだ。
 
 
どうしようもなくなって、オレは城島さんに電話する。
 
「もしもし城島さん?」
『ただいま電波の届かないところにいるか、電源が入っていないため……』
 
城島さん、なんで出ない。
どうしてこんな時にいてくれないんだ。
 
城島さんと連絡が取れなくなって二週間が過ぎていた。
オレは怖くて城島さんの部屋にも行けない。
あの何もない部屋が本当に空っぽになっていたら?
オレはこれからどこへ行けばいい。
 
 
気がつけば城島さんと酒を飲んだあの公園にきていた。
ベンチに誰かいる。
 
もしかして城島さん?
 
 
違った。
でも、城島さんとよく似た年格好の男だった。
スーツ姿。
サラリーマンかな?
タバコを吸っている。
 
 
ちょっとだけ迷ったけど、オレは少しだけ離れて男と同じベンチに腰を下ろす。
 
男は「ん?なんで他が空いてるのにこのベンチ?」って顔をしたが、この際どうでもいい。
 
 
城島さん、どこにいるのかな。
もう一度電話してみるか。
でもな……。
 
つうか、あちこち痛え。
 
 
隣りの男に声をかける。
 
「一本もらえませんか」
 
タバコでも吸えば気が紛れるかもしれない。
 
「そんなに堂々と」
 
オレを見ると男は人懐っこい顔でクスリと笑った。
 
「まあ、いっか。オレも吸ってたし。内緒で一本だけな。それ、ケンカ?」
「え?」
「唇の端のバンソーコ」
「ええ。まあ」
 
差し出したされたタバコのパッケージから一本引き抜く。
男がライターの火をつけてくれる。
くわえて火に突っこんでから出す。
 
あれ?火が点いてない。
 
「吸わないと」
「え?」
「吸わないと火、点かないよ」
 
そうなんだ。知らなかった。
オレ、タバコはニオイがダメで吸ってみたことなかった。
中田なんかはたまに隠れてスパスパ吸っててカッコいいんだけど。
 
 
「ゲフ……ゲフゲフゲフ。ツッ……」
 
思いっきり吸いこんだら、咳きこんでしまった。
それに切った唇の端が痛い。
 
「大丈夫か」
「だ、大丈夫です。ケフケフ」
 
あ、火、点いてる。
 
 
「もしかしてタバコ、初めて?」
「はい」
 
オレは正直に答えた。
 
「なんだよ。一本くれなんていうから。吸い慣れてんのかと思ったよ」
「すいません」
「いや、あやまらなくていいけどさ」
 
この間城島さんが吸わせてくれたタバコは甘くてうまかったんだけどな。
これはなんか紙の味。
薄くてマズイ。
 
「そんなにうまいもんじゃないだろ」
「はい」
「まあそれが、いつのまにかクセになっちゃうんだけどな」
 
男はうまそうに煙を吐き出した。
 
 
「あのな、思いっきり吸いこまないで、軽く吸ってから吐いてみ?」
 
言われた通りに軽く吸ってから吐く。
 
「うん。それが、ふかしタバコってやつだな」
「はあ」
「んでだ、タバコってのは肺まで煙をいれるんだ」
 
肺?
 
「軽く吸ったら、もう一回深呼吸するみたいにして吸いこむ。そんで静かにゆっくり吐く」
 
男はやってみせた。
見つめるオレに男は軽く微笑んだ。
 
「まあカラダにいいわけないよな」
 
軽く吸ったら深呼吸して肺に入れて……吐く。
オレはくり返した。
 
ん~。マズイ。
 
それにしても、見知らぬ未成年にタバコくれるし、吸い方も教えてくれるし、社会的にはあれかもしれないけど、いい人だな。
 
「この辺りの人ですか」
「いや、昔、五年くらい前に住んでたことあるんだこの近所に」
「そうっすか」
「高校生?」
「はい」
「そっか。十代。いいな」
「いいですか」
「いいよ」
「戻りたいですか?」
 
オレの問いかけに男はふいをつかれたような顔をした。
 
「戻る?う~ん。いや、一回でいいや」
「いい思い出?」
「うん。楽しかったからね。あれ以上はないでしょ」
 
男の目尻が下がった。
 
「友だち、いっぱいいそうですね」
「どうかな。そうでもないよ」
「高校の頃の友達と、今も会ったりしますか」
「どうだろう。会うヤツもいれば会わないヤツもいる、かな」
 
気さくに答えてくれる男に聞いてみたくなった。
 
「会いたいけど会ってない人は?」
 
男の顔が少し曇った。
 
「……いるね」
「会えなくても離れてても友達なんすかね」
「ん~どうだろう。でも、あいつどうしてるかなって思ったら友だちなんじゃない。そういう時は相手もそう思ってるって気がする」
「そうなのかなあ。……年取った自分なんて想像がつかないな」
「うん、だろうな。なんか十代って永遠に続くみたいに長いからな。今思えば」
 
オレはちょっとビックリする。
 
「年取るとそうじゃないの?」
「ああ、あっという間。二十代早かった~。もうすぐ三十だ。きっともっと早い。いや、早さに慣れるって感じかもな」
 
二十代はあっという間なのか。
あと三年、あと三年やり過ごせば、なんとかなるのかな。
でも、全然想像がつかない。
 
「早く、年取りたいな。そんで死にたい」
「若者」
 
男はゆっくりとタバコの煙を吐き出してから言った。
 
「オレはさ、歳とれば歳とるほど、もっともっと生きたいって思うんだ。なんか愛しいんだよ。生きるってことがさ」
 
愛しい。
生きることが愛しい?
そんなことってあるのかな。
 
「なんでもいいんだ。朝、目が覚めたら、あ~今日も生きてる、朝メシウメーって思うしさ。昼に吉牛食えば、相変わらず、あ~ウマッ!って思うしさ。あ、食いもんのことばっかりか。ん~、例えば今日みたいに後輩がミスして、取引先に頭下げてる時もさ、あ~オレもこんな時あったなあ~、今じゃこんなミスしねえけど、オレって成長したんだなって思うしさ。それはオレが生きてるから感じることじゃん。んでさ……そうやっていろんな事思いながら、いつか死ぬんだと思う」
 
男とオレはたがいに黙ったままタバコを吸った。
 
 
「あいつも、そう思ってくれるといいんだけどな」
 
男はボソリと言った。
 
「え?」
 
オレのスマホが鳴った。
 
確認したら結衣ちゃんからの無事に家に着いた&おやすみLINEだった。
『おやすみ』と返信する。
 
「おっ、彼女か?」
「ええ。まあ」
 
男のスマホも鳴りはじめた。
 
「オレもだ。帰れコールだな。はい……ん~もう帰るよ~……わかった牛乳と食パンね。うん……甘いもの。アップルパイとかでいい?……わかった……はい……んじゃね。は~い」
 
男の左手の薬指には指輪があった。
 
「奥さんすか?」
「うん。はあ~じゃあ帰るか。ほら」
 
男は携帯灰皿をオレに差し出した。
 
「ポイ捨てはダメだ」
「はい」
「あんま吸い過ぎんなよ未成年。じゃあな」
 
男の笑った顔を見て、あれ?と思った。
この顔どっかで見たことある。どこだっけ。
つい最近。ん~?
 
あ!気がついたときには遅かった。
男は公園脇に止めた車に乗りこみ出て行った後だった。
 
今の人、城島さんの写真にいっしょに写っていた人だ!
写真より少し歳はとっていたけど。
多分、城島さんが待ってる人だ。
探しに来たんじゃないか城島さんを。
 
というか城島さん、ちゃんと会えたのかな?
 
 
 
 
 
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