ゾンビを生き返らせる方法 1
人もまばらになったオフィスのデスクで安元は日報をつけていた。
大口の案件が取れそうだったから、ここのところ残業しまくっていた。
週明けに契約。
今は金曜日の七時。
まあまあといったところか。
後輩前野との飲みの約束は今日こそ守れそうだな。
そして明日は休み。
久しぶりになんの予定もない休み。
そこに「お疲れ~安元」と声がした。
顔を上げれば島本果歩だった。
同期入社でとなりの課。
いつもなら「おう」と返事を返すところだが、その日に限って安元は果歩の顔をじっと見つめてこう言った。
「なんだかな」
「え?」
「俺を安元って呼び捨てにする女はお前ぐらいだよ」
何言うとんじゃこいつ。
果歩は思った。
「それを言ったらオレをお前呼ばわりするのも安元ぐらいだよ。男にお前なんて死んでも言わせないよ」
「じゃあそれ、俺の前では死んでんじゃん」
「え?」
「いや、違うか。死んでも言わせないなら、死んでもないし生きてもない……ゾンビじゃん」
「!」
それはゆるやかで、やわらかい衝撃だった。
大事に持っていた卵が手のひらから落ちてグシャッと潰れたような。
殻はあっけなく崩れ、中からは透明な白身と鮮やかな黄色い黄身が見える。
真理だ。
ユリイカ。われ発見せり。
「……そうかもね」
「え?」
「安元の前では常にゾンビなのかも……」
「は?何それどういうこと?」
ポカンとした安元のマヌケ面を見ながら果歩は思った。
『早く人間になりた~い』……ってあれは妖怪か。
「ところで安元、お酒呑みにいかない?」
「俺この後、前野と約束してんだけど。一緒で――」
「前野!行く!行く行く!!ちょっと待って。あ~メイク落としちゃったじゃん」
果歩のテンションが一気に上がった。
カバンから鏡を取り出して髪を整える。
「マスカラ。マスカラと口紅でいいか……ちょっと待ってて」
何こいつ、この変わりよう、安元は一瞬ムッとした。
果歩はちょっと変わった女で、仕事が終わると会社のトイレで化粧をすべて落としてしまう。
果歩に言わせると化粧は仕事の一環としてしているが、仕事が終わったならばそれは必要がない。
一分一秒でも早く落としたい、だそうだ。
「お前、今年いくつだっけ?」
果歩の顔が険しくなる。
「…お前と同じだよ安元」
あ、しまった。またお前って言ってしまった。
ゾンビになっちまった。
「年がどうしたの」
「いやさ、すっぴんっで通るのって若いうちだけなんじゃないの?」
「うるさいなあオッサン」
「それ言うとお前もオバさんってことになんだぞ」
「うるさいわね。お前お前言うな」
まつげクリンとするやつしてマスカラしてる姿って、男から見て微妙…安元は思った。
まあ、化粧をすぐ落とすせいか、年の割に肌はキレイだけど。
つうかこいつって年齢不詳。
二十代前半って言われりゃそう見えるし、三十代って言ってもああそうかもと思う。
まあ、でも年齢不詳って言ってみりゃ若くないってことなんだけどな。
久々に間近で果歩の顔を眺めながら安元は思う。
それにしても前野って聞いたらマスカラで、俺ならノーメイクか。
ム~。
あれ?なんで俺、ムッとしてるわけ?
まあ、いいか。
果歩が前野を気に入ってるのは前からだ。
なんのかんの言ってこいつ、イケメンで細くて年下の低音ボイスが好きなんだよな。
俺も低音ボイスだけど。どっちかっつうとカラダがっちりで893寄り。
まあどうでもいいか。
*
居酒屋の個室で楽しく酒を飲んで三時間。
前野が帰ると言い出した。
「えーもう帰っちゃうの前野~」
「すいません。明日朝から草野球の試合入ってるんですよ。久々なんで」
「えー全然話してないのに~前野の声もっと聞いてたいのに~」
果歩が前野にカラミはじめた。
「ていうか果歩さん安元さんとばっかしゃべて俺とはあんましゃべってくんないじゃないですか」
「それはオッサンがいろいろグチグチ言ってるからお付き合いしてるだけじゃな~い」
「おら、果歩どういう言い草だコラ」
「え~ん、オッサンじゃなくてカワイイ前野の声もっと聞きたかったよ~」
「そりゃ悪かったなカワイくないオッサンの声で」
「え~んやっぱりカワイくない~」
「この酔っ払い。前野、お前もう帰れ。朝、早いんだろ」
「はい。あ、お金」
「いいいい」
「すいませんじゃあゴチになります。果歩さん、また。安元さんお先に」
「ブー。前野前野~」
「すいません。失礼しま~す」
「ちぇっ」
果歩はまだブチブチ言っている。
「前野だってプライベートがあんだから」
「ブー」
「ガキか」
「はあ~。つまらん」
「こっちもじゃボケ」
「安元~そろそろあれ頼んでよ」
「あ~」
安元はメニューを手に取ると、デザートのアイス名を読み上げた。
「濃密な夜の大人のチョコレートサンデー。純情バニラのストロベリーな出会い」
「なんだその名前。じゃあチョコのやつ」
店員の呼び出しボタンを押す。
コンコンとノックの音がした。
「は~い。おうかがいしま~す」
若くてカワイイ女の店員が注文を取りに来た。
「ええと、濃密な夜の大人のチョコレートサンデー。純情バニラのストロベリーな出会い、一つづつお願いします」
安元がよく通る低音のイイ声で注文した。
「ブッ!」
果歩が吹いた。
「おい!」
「はい。濃密な夜の大人のチョコレートサンデーと純情バニラのストロベリーな出会いですね。かしこまりました~」
「お願いします」
店員の姿が見えなくなると始まった。
「安元なんだよ純情バニラのストロベリーな出会いって」
「知らねえよ、そういう名前なの」
「つうか、それ頼む?つうか言う?チョコとバニラの一個づつでいいだろそこは」
「別にいいだろ言ったって。るせえな」
前野が帰った途端に言葉が悪くなっている。
こういうとこ、あるよなこいつ。
「っていうか安元、あの注文取りに来た子、スゴかったね」
「ああ。足キレーかったな」
「足?そこは胸だろ。あれ、たぶんGはある」
「相変わらず見る目がオッサンな」
コンコン。
「失礼しま~す。お待たせしました~。濃密な夜の大人のチョコレートサンデーと純情バニラのストロベリーな出会いになります」
「ああどうも~」
果歩と安元はアイコンタクトを取る。
「ごゆっくりお召し上がりくださいませ~」
「見た?」
「見た見た。すんげえわ」
*
その頃、帰宅の途についた前野は思った。
ったくあの二人、早いとこどうにかならないかな。
俺をクッションにするのはやめてほしい。
当人同士だけがわかってないパターンじゃないのあれ。
俺なんかいてもオジャマ虫でしかないのにな。
やれやれ、年を取ると、こじらせるなあ~。
*
二人でアイスに舌鼓を打つ。
「お前明日仕事は?」
あ、やべえ、またお前って言っちまった。
つうかさっきから何度も言ってる。
果歩に対してはお前がデフォルトなんだよな。
なんでか。
「休み」
あれ?こいつ気づいてない?
「約束は?」
「ない」
「即答か。淋しいのう」
「そういう安元は?」
「オレも久々休みだよ」
「約束は?」
「ない」
「淋しいのう」
もくもくもく。
「安元、それちょっとバニラのとこちょうだい」
「ム~。あと3口って時に言うなよ」
「これ食べていいから」
「いいよ。俺は配分して食ってんだから」
「も~らい」
果歩が安元の皿から一匙すくって食べた。
「もう~やめろよそれ」
「ケチ」
「つうか、相変わらず治んねえのな。飲んだあとアイス食いたくなるクセ」
「クセなのかなあ。食べたくなんないアイス」
「なる。すごくなる」
「だよね。でもこれ、ん~濃厚がすぎる。もういらない。安元残り食べて」
「え~配分が~」
「男のくせに細かいねえ」
「お前が大雑把なの」
「こういうのじゃなくてもっとこうやっすい味でいいのよね」
「貧乏舌」
「あ~眠っ。マスカラ落とした~い」
前野が帰った途端にこれだよ。
「行ってくれば」
「行ってきま~す」
果歩が手を上げてバッグつかんで出て行った。
*
鏡の中のすっぴんの自分を果歩は見つめた。
ゾンビか…。
ゾンビ…。
お前お前言いやがって安元のやつ。
気がついてるっつうの。
あの男は昔から無意識がすぎるんだ。
はあ~。
果歩はため息を吐き出して自分の手のひらを見た。
一度潰れた卵は元には戻らない……。
*
席に戻ると安元が言う。
「出るか」
「出よう」
安元はレジの前を通り過ぎる。
「あれ安元、支払いは?」
「もう済んだ」
「え?いつ?」
「さっき」
「いくら?払うよ」
「いいよ」
「なんでさ。払うよ」
「いいから」
う~ん、オゴってもらう理由がないような気がする。
誘ったのあたしだっけ?
あんまりゴネてもみっともないか。
果歩は酔っ払った頭でくるくる考える。
こいつ、相変わらず男ともワリカンにしたい派だな。
「ゴチになります!」
あ、今日は折れた。
「どういたしまして。次はお前がオゴれよ。あ!」
「死んだ。んで……ゾンビった」
「ゾンビるってなんだよ」
「ゾンビればゾンビる時ゾンビった」
軽口たたきながら外に出た。
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