アキノワルツ 第42話 春日井大社
「久しぶりだな」
灰谷を見て春日井が言った。
「オレのこと、覚えてるんですか?」
「覚えてるさ。灰谷だろ。西村と同じチームにいた」
春日井が自分のことを認識していたこと、名前まで覚えていた事に灰谷は驚いた。
「良いセンスしてた。いまどこでやってるんだ?」
あの春日井大社にこんな事言われる日が来るなんてな。
感慨深い。
「あ、実は中学に入ってから脚やっちゃって」
「そうか。残念だな」
悪い事を聞いてしまったとでもいうように春日井の顔が曇る。
「もう昔のことなんで」
「急遽招集したんすよ。親父、週末のサッカー命だから」と西村が割って入った。
「見つかんなかったら小遣い減らすとか言われて電話かけまくって。こういうときに限って誰も見つかんなくて。もう、最後の頼みと灰谷泣き落としましたぁ」
おどける西村に春日井が静かに笑う。
「春日井さんもっしょ?」
「オレはカラダ動かしたくてさ」
西村は何度か春日井と対戦しているらしく、かなり親しげに見えた。
『亮~、ちょっと来い』
「なんだよ親父ぃ」
父に呼ばれて西村がその場を離れると春日井と二人きりになってしまった。
「春日井さんは大学のリーグなんですよね」
「ああ。N大。オマエら来年受験だろ、どうすんだ?」
春日井は肩にかけていたカバンから水筒を取り出した。
「オレは一応、大学進学で考えてるんですけど」
「専攻は?」
「まだ決めてなくて」
「そっか」
水筒のフタを開け、春日井は一口飲んだ。
ふわりとコーヒーの香りが漂った。
「良い香りですね。コーヒーっすか」
「ああ、これな。最近ハマってるんだ。豆から挽くの。手挽きのミルでな」
「へえ」
カラダの大きな春日井が小さなミルをグルグル回す姿を灰谷は思い浮かべ、口元が少しゆるんだ。
「あ、いま思ったろ」
「え?」
「でっかいカラダで小さなものグルグルしてんな、って」
「…」
その通りだったので灰谷はとっさに返事を返せなかった。
「灰谷、オマエのプレイと一緒な。嘘つけねえのな」
「すいません」
「いいよいいよ。そういうとこいいと思うぜ」春日井は人懐っこく微笑んだ。
「灰谷、オマエ高校どこ?」
「西高です」
コーヒーを口に運ぼうとしていた春日井の手が西高と聞いてピタリと止まった。
「…へえ。そうか」
そうつぶやくと水筒の口に唇をつけたまま、春日井はしばらくじっとしていた。
が、「また、来るだろ?」と言い、一口コーヒーを飲んだ。
急に話題が飛んだがサッカーの事だなと思い、「え?ああ。はい、たぶん」と灰谷は答えた。
やみつきになりそうな予感があった。
「あの、さ……」
「はい?」
水筒のフタをキュキュっと締めながら「一年の立花ってやつ、知らないよな?」と春日井が訊いた。
え?立花?
春日井の口から出た意外な名前に灰谷は驚いた。
「友樹、ですか」
「え?知ってる?立花友樹」聞いた春日井も驚いている。
「バイト先、いっしょです。コンビニなんですけど」
「コンビニ?ああ……そんなこと聞いてたな」
まさか春日井大社の口から友樹の名前が出てくるとは。
世間はせまい。
「真島ってオレのツレがいるんですけど。やっぱバイト先いっしょで立花と仲良くて、つうか立花が懐いてて。真島のうちに入り浸ってます」
「友樹が?」
信じられないとでもいうように春日井の目が丸くなった。
「はい」
「そうか……」
そう言うと春日井は黙ってしまった。
急な気まずい雰囲気に、西村は?と見れば何か話しこんでいて、まだ時間がかかりそうだった。
「あの、訊いてもいいですか。友樹とはどういう」
「ああ。家がとなり同士でガキの頃から知ってて」
「へえ」
「……あいつ、元気か」足下をみつめながら春日井がそう訊いた。
「オレの知る限り、元気ですね」
「そうか……うん」
そう言うと、春日井は小さく何度かうなづいた。
まるで自分自身を納得させようそしているかのように灰谷には見えた。
「お待たせ~メシ行こう~」父親から解放された西村が大きく手をふって走って来る。
「あいつ、ピアノ、弾いてるかな」春日井がぼそりとつぶやいた。
ピアノ?
「さあ……弾いてるって話も聞いたことないし、弾いてるのも見たことないですね。まあ、オレが知らないだけかもしれないですけど」
「そうか……」春日井の顔が曇った。