ナツノヒカリ 90
ズビーッ。
トイレから灰谷が持ってきてくれたトイレットペーパーでオレは鼻をかんだ。
「きったねえな~」
「しょうがねえだろうが……」
泣きすぎたオレの声は少し枯れていた。
オレたちは壁を背にして並んで座っていた。
「オマエが……」
また涙がこみ上げそうになったのを必死でこらえた。
「……ヘンな事、言わすから」
「おう」
「はぁ~」
「ため息つくな」
「つくわ!……つうかなんでわかったんだよ」
「あ?」
「ここ」
「さあな。テレパ……」
「電波系かっつうの」
灰谷は静かな声で言った。
「オマエが呼んでる気がしたんだよ。んで……オレが、オマエに……会いたいと思ったんだよ。したら、わかったんだよ」
会いたい……灰谷がオレに?
灰谷もそう思ってくれてたんだ。
灰谷もそう思ってくれてたんだ。
「……なんだそれ電波系か」
ついついそんな風に言ってしまうオレ。
「オマエ……まあいいや」
灰谷が少し呆れたような顔で、でも、口元をゆるませた。
「真島」
「ん?」
「オマエの気持ちはわかった」
「うん」
「嬉しい、と、思う」
「うん」
「オレも好きだよ」
さらりと灰谷が言った。
え?
オレは灰谷を見た。
灰谷の顔は珍しく少し赤くなっているように見えた。
「だ~っ、恥ずかしい。言わせるなこんな事」
オレまで恥ずかしくなって来た。
「おう」
「ただ、オマエの好きと同じかどうかは、ハッキリ言っていま、わかんねえ」
「うん」
「だから、オレがわかるまで、時間が欲しい」
「うん」
「その時は、どういう結果だったしても、オマエに言うから。きちんと言うから。それまで待ってて欲しい」
「うん」
そう。これが灰谷だった。
いつだってキチンとオレと向き合ってくれる。
「んで、これだけは言っておくけど」
「おお」
「もしオレが、オマエの気持ちを受け入れられないとしても」
「うん」
「オレたちは死ぬまでツレだから。おっさんになってもジジイになっても、それは変わらねえから」
「わかった」
「逆にオマエの今の気持ちがオレからなくなっても、それだけは変わらねえから」
「そんな事絶対にないけど。わかった」
オレたちは顔を見合わせた。
「なんか恥ずかしいわ」
「オレも」
二人、テレたまましばらく黙っていた。
「灰谷」
オレは灰谷の名を呼ぶ。
「ん?」
「灰谷」
「なんだよ」
灰谷がオレを見つめた。
オレも灰谷を見つめた。
オマエのこの顔、オレ、忘れない。
「目の上になんか付いてるぞ」
「え?どこ」
「取ってやるから目、閉じてみ?」
「うん」
灰谷が素直に目を閉じた。
チュッ。
オレはすばやく唇を奪った。
灰谷が目を見開く。
「オマっ…」
「いただき」
「…それ、反則……」
「オレ、告白したからな。これからは全力で行く。油断すんなよ」
オレは高らかに宣言した。
*
思っても見なかった真島からのキスに灰谷は動揺した。
「……さっきまで泣いてたくせに」
「え~何それ?知らねえなあ。夢でも見たんじゃねえの~」
「オマエ……」
男だ!
ちょっとカワイイと思ったのもつかの間、やっぱオスだ。
仕掛けて来やがった。
肉食……。
あれ?これ誰かに似てる。
心を奪い奪われ、人生は弱肉強食。欲望に忠実なものがなんたらかんたら。
母ちゃんだった。
「つうか、腹減った。うち、帰ろう灰谷」
「オマエ、立ち直り早いな」
真島は大きく伸びをした。
「ああ~すっきりした。オマエに告白する以上に怖いものなんて、もうねえもん」
「オマエ……」
ねえもんって……真島、オマエ、乙女か?
灰谷は真島の顔を見つめた。
灰谷の視線に気づいた真島が灰谷を見て笑った。
解き放たれたような、これぞ真島というキラキラしたまぶしい笑顔だった。
またしても反則……。
思いとは裏腹に灰谷は言った。
「ブサイク」
「なんだテメー、オマエが泣かせたんだろうが」
「はあ?逆ギレ。やっぱ泣いてたんじゃねえか」
「泣いてねえわ」
真島が電話を掛け始めた。
「ああ、母ちゃん。オレ。オレオレ……カフェオレじゃねえよ。今から帰るから。お腹すいた……うん、灰谷もいっしょだよ。灰谷が母ちゃんのオムライス食べたいって…うん…うん。ほいじゃあね」
「オムライス食べたいなんてオレ言ってねえぞ」
「好きじゃんオムライス」
「好きだけど」
「あ~コンビニでプリンと母ちゃんの好きなアイス買って帰ろうぜ」
「つうかオマエ、アメリカンドッグは?」
「ワリぃ、当分いいや。一日二本を四日続けるとさすがにな」
「そりゃそうだろう」
「いちごオーレはありがたく頂くわ」
そんな食生活か。
そりゃあ節子の料理が恋しくなるわ。
そりゃあ節子の料理が恋しくなるわ。
灰谷は思った。
「んでも……ありがとな灰谷。来てくれて」
テレたのか、真島は灰谷の顔を見ずに言った。
「おう」
「さてと」
二人、立ち上がった。
「で、オマエ、この部屋、このままでいいの?」
「うん。近い内に取り壊しなんだってさ、このアパート」
「ああ、それで他の部屋、電気ついてなかったのか」
「あ、ダメだ。この部屋にあるもの表の粗大ゴミの所に戻さないと。借りてたんだ」
真島と灰谷は、荷物を粗大ゴミの中に戻した。
「んじゃあ、帰るか」
「あ……ワリぃ、忘れ物。ちょっと待ってて」
「おう」
真島はアパートに入っていった。
どうしてこの場所がわかったのか?
灰谷は思い出したのだ。
あの日、明日美との別れを告げた公園からの帰り道、このアパートの近くで真島が何か言いかけた事を。
『灰谷……オレ……オレさ……』
でもすぐに言いやめて、その後しばらくこのアパートをじっと見つめていた事を。
ここは多分、あの城島ってやつの……そんな気がする。
灰谷の胸の中にモヤモヤとした気持ちが広がった。
ふう~。
やめよう。これ以上考えるの。
あいつが何か言うまでは。
見つかったんだから良しとしよう。
灰谷は思った。
*
オレは城島さんの部屋の真ん中に一人立ち、ぐるりと見渡した。
来た時と同じ空っぽになった部屋。
カーテンは……掛かったままでもいいか。
あ、カーテンの影に灰皿とタバコとライターがあったんだった。
ちょっと迷ったけどオレはそれらをリュックにしまった。
城島さんの愛の部屋。
ありがとう城島さん。
オレは頭を下げた。
「ウーイ。お待たせ灰谷」
「ああ。オマエ、チャリどこ?」
「え?そこの駐輪所の柱に……は?あ~灰谷~」
「なんだよ」
「チャリ盗まれてる~」
また盗まれては困るから、面倒だけどいちいちチェーンを掛けることにしていた。
だが、切られたチェーンが落ちていて、自転車がなくなっていた。
「またやられた~。あーチクショウ、なんでだよ~っ。オレばっかりー。買ったばっかなのに。チェーン切るってどんだけだよ~」
「真島」
「ん~?」
「乗れよ」
灰谷が自転車の後部座席を叩いた。
灰谷と2ケツして家に帰る。
しばらくぶりの灰谷の背中。
ああ。いいな。
こいつの背中、いいな。
オレはもう乗らないと決めていたオレの特等席にまた戻って来てしまった。
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